先日、下鴨神社の手作り市を見に行った際、妻が参道の金木犀を撮っていた。
金木犀の周りには甘い香りが漂っていて、僕は妻が興味深く写真を写す姿をじっと見ていた。
金木犀の周りには甘い香りが漂っていて、僕は妻が興味深く写真を写す姿をじっと見ていた。
妻は写真が好きで撮るのも上手で、時々僕が撮るいい加減な写真を見て笑ったりする。
僕の写真はピントが合ってなかったり、頭が切れてたり、中心がズレてるので、バカにすると言うより呆れるそうだ。
それから、僕らはお腹が空いたので出店していた沖縄そばを食べていた。
すると妻は今度はもっと大きな金木犀を見つけたようでもう一度撮りに走った。
だが、戻ってきた彼女は渋い表情で上手く撮れなかったと嘆いていた。
そんなに何をこだわるものかなあ、と心の中で呟くがそれは口に出してはならない。
しばらくして彼女が言った。
義母さんが亡くなった頃も金木犀が香っていたよね、と。
全く覚えてなかった。
「そうだった?」と返す僕に、
「忘れた?」と彼女は言った。
忘れるも何も覚えてなかった。
金木犀が咲いていたのも、その匂いも記憶には残ってなかった。
あるのはまだ蒸し暑く、葬式を待つ母の身体から漏れる腐臭ととてつもない哀しみだけだった。
でも、これからは金木犀の甘い香りを嗅ぐ度に母を思い出すに違いない。
そして所々で僕らを見ていると感じるに違いない。
妻のFBにその時のiphone写真がアップされていた。