菅原文太さんが亡くなった。
色々な思い出がある。
四国に付いて行ったこともある。
でも僕は語る資格もないほどご迷惑をかけた。
その事で先輩たちにもとても嫌な思いもさせた。
僕は、息子 加織の主演映画の監督だった。
でも彼が死んだ後、編集の段階で文太さんと衝突した。
そして出て行けと怒声を浴びせられ、僕は編集室を出て行った。
映画は未だ観ていない。
その後、妻と一緒に加織の眠る太宰府を訪ね、申し訳なかったと謝った。
文太さんにもいつか謝らなければと思い続け、三回忌に会場の焼肉屋で文太さんを待った。
多くの先輩達が何しに来たのだと言わんばかりで僕と口を利くのも憚る、そんな状況の中で文太さんが現れた。
僕はタクシーから出て来た文太さんに頭を下げ許しを乞うた。
一言謝れば帰るつもりだった。
でも、文太さんは、「よく来てくれた」と僕を店の中に招待して下さった。
言われるまま席に着いたが、もちろん僕の周りに座る者など誰もなかった。
4人がけのテーブルにたった一人で座り、肉を食べた。
文太さんの優しさに涙ばかりで肉の味などわかるものではなかった。
文太さんが本当に許してくれたかどうかはわからない。
でも、僕は今でも文太さんに感謝している……。