2015年3月22日日曜日

正しく生きる 京都初日

昨日、「正しく生きる」の関西初日を京都シネマで迎えた。
出演者、監督、総勢8名がスクリーン前に並び挨拶した。

一人一人が感謝の言葉をお客に伝え、ようやく僕の順番が来た。
◯◯役の誰々です。みんなそんな調子で来てたから、僕は、
「おしっこを漏らしていたヤクザの幹部役の水上です。普段はもらしません」
と、実は笑いを取ろうとした。
が、客はクスリともせず、す〜っと波が引いていくような感じにとらわれた。


あっと思った。
確かおしっこを漏らすシーンはラッシュの段階にはあったが、完成版ではカットされていた。
なのに、「おしっこをもらしていたヤクザの幹部……」
しかも「普段は漏らしませ〜ん」って、この役者ちょくちょくおしっこチビる人なんだとお客は思ったに違いない。

やってしまった……。

やっぱり挨拶する前にちゃんと 映画を見ておくべきだった……。汗

2015年3月21日土曜日

電車の中

いま電車に乗っている。
目の前に座る女の子がポロポロ泣いている。

ハンカチでわからないように涙を拭うが、電車には乗客があまりいないし、目の前なので明らかだ。

ゎ、目が合った…。

2015年3月20日金曜日

研究者マッサン

マッサンは安く庶民に提供出来るウィスキーを開発すべく、五年以内に作った原酒を片っ端からテイストし始めた。

スモーキーフレーバーの強いキーとなる原酒を探して、来る日も来る日も…。

マッサンはアル中になってるに違いない。
あるいは、常にベロベロだったんじゃないだろうか。

以前、僕が鹿児島に行った時のこと。
お土産にする焼酎を選ぶのに酒屋がとにかく利き酒をさせてくれたことがあった。

「こっちも美味しいんですよ」
「こっちのは芋の香りが強いんです」
などと、次々とお猪口に注いで飲ませてくれて、気が大きくなった僕は予定以上の本数を買い、ベロンベロンになって帰った事を思い出した。

テレビを見てて、マッサンの体のことが心配になった…。

2015年3月13日金曜日

昨日のこと

仕事で上京し、品川から山手線に乗った。
しばらくすると、障害者と思われる女性が、「すみません、後ろを通って良いですかあ?」と立っている僕の後ろを大きな声で通り過ぎた。

大崎駅で、客が入れ替わると斜め前の座席が空いた。
すると女性は座ろうとしていた初老の男に、「座らせてもらえませんかあ?」と丁寧に声を掛けた。
男性も、「どうぞ」と席を譲って、スマホを再びいじりだした。

すると女性は唐突に、「会社で働き始めて何年ですかあ?」と目の前の男性に尋ねた。
男性も少し躊躇しながら、
「今の会社は23年前からになります」と答えると、「1992年からですね、頑張りましたね〜」と女性は言う。
男性は少し照れ気味に、
「そうですね、頑張りましたね」と薄く笑った。

周りの客たちは、僕を含めて二人の会話に聞き入っていた。
明らかに普通ではない風体の女性と初老の男の会話は、その後しばらく続いた。

男は、ひょんな出会いに人生をねぎらわれ、やがて「さようなら」と電車を降りていった。

女性が次に誰かに語りかけることは無かったが、初老の男のやさしさと無垢な女性のやりとりに、なぜか心がほだされた…。

2015年3月7日土曜日

殺意

本のタイトルを思い出せなくて、前に書いていたブログを読んだ。
どうでもいい日常を書いているが、時々興味の湧く内容に目がとまる。

『殺意について』 こんな事を書いている。



ピンク映画の結末が仕上がらず、『殺意』について考えていた。
なので今日、思い切って釣りに行った。
たった一人になって考えてみようと出かけたのだが、物語のことなどまったく考えもしなかった。

ただただ、ぼーっと海と竿先を見つめること数時間、一匹だけ手のひらサイズのボラを上げただけで後はいっこうに音沙汰なかった。
もんもんとしていた。

夜になって兄からこんな話を聞いた。宮本輝のエッセイだった。
宮本輝が「蛍川」で芥川賞を獲ったばかりの頃、彼は結核で入院した。
賞を獲ったばかりで次々と仕事が舞い込む予感のある頃だった。
だが、彼は入院を余儀なくされ、1年間ほど仕事を断わることを指示された。

そんな時、病室のベッドに一匹の蟻が現れた。
病床の宮本はその蟻の前にエサを与えた。
翌日にも来たのでその日も食事の残りを与えてやった。
するとまた、次の日にも蟻は群れることなく、たった一匹で現れた。
その日も宮本輝は米粒を与えて帰してやった。

そうして来る日も来る日も蟻は一匹で現れて、宮本輝はエサを与え続けたのだと言う。
やがて宮本が結核を完治し退院を許される時がやってきた。
その日も蟻は病床に来たという。
彼は迷った。迷ったあげく、彼は親指でその蟻を押し潰してしまった。

エッセイの中では、あの日、どうして自分は蟻を殺してしまったのかわからない、と書いている。
凡人の僕にはわからないが、『殺意』について考えていると言ったら、兄はそんな話をして聞かせてくれた……。


2015年3月5日木曜日

マッサン

朝ドラ、「マッサン」を毎日楽しみにしている。
ここのところ戦争に行かねばならぬ青年の話である。

マッサンの娘、エマは青年との恋に苦しみ続け、「戦争の無い場所に一緒に逃げよう」とまで訴える。
しかし、青年は「戦争の無い場所なんてどこにもないよ」と答える。

当時の青年に、「戦争の無い場所なんてどこにも無い」なんて知識があったとは思えない。が、そう言いきる言葉に、作家 羽原さんの今の世の中に対するメッセージ性が感じられる。

さらに、周りの者たちが皆、青年の出征に悲しむ中、青年の父親(風間杜夫)は、「この戦争には勝たねばならぬ、身を投げ出しても命を懸けてこの日本を護れ!」と我が子に命を惜しむなと叱咤する、幕末に破れた会津藩らしい頑固な堅物だ。


だが、その父親が、今日はマッサンの妻 エリーに打ち明ける。
「誰かが命を張ってこいと言ってやらねば、戦争になんぞ行けやせん。お国の為に死んで来いと言ってやらねばおっかなくて行けやせん」と、涙ながらに本音を言うのだ。

出た、羽原節!
思わず、朝食の手を止め、涙を拭いて鼻をかむ。
だが、羽原節はとどまる事無く、これでもかこれでもかと泣かせにかかる。

今日はまんまとやられた。玉砕だった…。
明日は絶対に泣かない。


そう言えば、数年前に羽原さんに大学で若手俳優たちに定時講義を持ってもらえないかと電話した事があった。
そのときは丁重に断られたが、その断り方にも人柄が感じられた。

すでに撮影は終わったと聞いている。
羽原さん、長い間、お疲れさまでした。
素晴らしいドラマです。


2015年3月3日火曜日

正しく生きる 全国公開!

映画「正しく生きる」が間もなく公開される。

ジャーナリストの秋山豊寛さんは、先日あった完成披露上映会でこの映画を紐解き、正しく生きるなんてことは、個人と社会との関係の中にあるもので、その価値観は様々だと冒頭から意見した。

こう書くとこの映画がやたらタイトルに振り回された堅苦しいものじゃないかと思うだろうがそうじゃない。むしろバイオレンスに満ちたものだ。
道徳や倫理からかけ離れる物語は、まともな者なら感情移入などできるわけないだろう。秋山さんもさんざん映画に対して意見したが、終いにはこう締めくくった。
「この映画には、独特の映画が持つ手作り感が確かにある」と…。

僕もここ数日、「正しく生きる」の事を考えていた。
撮影は一昨年にも遡る。
その時はもちろん気づかなかったが、改めて完成作品を目にすると、秋山さんの言う手作り感とは、見たこともない若手俳優たちの醸す生臭さと映像効果が起こす腐蝕反応のようなものだと考える。

物語は災害という社会的悲劇をきっかけとして、登場人物たちに次々とアクシデントが起こり出す。
当然、彼らは生きるためにそれぞれのトラブルに立ち向かっていくのだが、それは今の我々にも起こりうる逃れられない現実なのだ。
しかも彼らもそれに気づいていながら最悪の展開に向かって進むしかないわけだ。なぜならそれが彼らにとって唯一の正しい道だからだ。

福岡芳穂監督は、その宿命に対して、あるいは時に陥る負の連鎖に、人々がどう生きるかを問いかけたのではあるまいか。
それは震災以来数年、万民が心の奥にとどめてきたもので、迂闊には口に出来ないものに違いない。
震災、テロ、戦争、あらゆる現実を我々は再び直視し、じっくりと考えなければならない時が来たかもしれない。

「正しく生きる」という事について深く考えなければいけない時が…。

衝撃のロードショー、始まる!

東京3/7(土)~
シアター・イメージフォーラム
京都3/21(土)~
京都シネマ
大阪3/28(土)~
第七芸術劇場